今はどういうことを目的に読んだらいいか。なんていうのか。止まってページを確認して、10ページだなと。それを30分で読もうってことだなと思って。  外傷的な体験とかフォーカシングっていうこととか。チョット線を引きながら、なんだかジグソーパズルから像を作る。なんかそう。ちょっと違う、何かパーツパーツからちょっとずつ面を広くしていって。どういうことが書かれてるのかなっていうのを、ちょっと想像しながら。ずっと〇とか線を引いてってます。  今、外傷体験とか解離性人格障害とか健忘っていうのが、一般的なことが、書かれている。安全の確立とか、相互交流とか。そうだなそうだなとかって思って読んでいます。  なんかこれは結構、最近言われてることだなっていうことで。そんなになんていうか。私は岡野先生の「乖離トラウマ研究会」っていうのにずっと入って、一ヶ月に1回勉強会してるんですけど。それで話されることと、そんなにそう違いはないなということを思いながら、読んでて。だけど、乖離性同一性障害っていうのをフォーカシングをやるっていうのは、今まで知らなかったので。どんなふうに進んでいくのかなとか、どんなふうな治療がなされていくのかなっていうのを、ちょっと興味深く思いながら、読んでいってました。  だけど、そんな。方法はちょっと違えど、やってる中身みたいなことは、多分その乖離性障害の治療としては、今まで言われてることと同じようなことなのかな。とかって思いながら、ずっと読んでました。  最初のところで。「母親は自分が病気であるという自覚がなく」って。パって出てきて、んっこれは何だろうなとかってちょっと思って、まず「?」を付けています。チョット、多分この後なんか出てくるのかなと思いながら。チョット、なんかひっかかりが残ったままになったかなっていう感じでした。  だけど、だんだんその「奇妙な話をしてくる」、とかっていうこと書いてあって。統合失調症かな、とかいうことを思いながら読んでました。で、医療系の大学に入るとかって書いてあって。その時点で、なんか、この人はやっぱケア役割というか。そういうのを意識しながら生きてきたのかなぁっていうことを思いました。  だんだんなんか、感情のコントロールが、どんどんどんどん、難しくなっていったんだなっていうこととか。あと、当院で受診するって書いてあって。この筆者の人は精神科医なのかなぁとかって、この時点で思いました。  で、途中で自費診療に変更になる。経済的なバックグラウンド、大丈夫なのかなとかっていうのを思いながら。この人の経済状況ってどうなんだろうなぁとかって、ちょっと思いながら読んでます。  人格の側面同士の交流をいかに促すかっていうのが本当、今の時代に言われている乖離性障害の治療の目的というか、なんかやり方ってあるから。フォーカシングとか使っても、やっぱそうなんだなとかって読んでました。で、面接過程で2年4ヶ月の70回なんだと思って。  最初にAさんがなんかメモを、自分でこういう約束をしますっていうふうなメモを書いて持参したんだっていうことに、ちょっとびっくりしました。なんかよっぽど、なんか、覚悟とか、なんかこう、それまでなんかちょっといろんなトラブルがあったのかなとか。そういうことをちょっと、これで予想するようなかんじでしたね。  「喪失感が耐えがたい」って書いてあって。そうそう本当にそうだろうな、喪失感という言葉はぴったりだなと思って、「〇」をつけました。セラピストが、このAさんに言葉にしていく力がある、って理解して、フォーカシング的な介入が可能である、と判断したっていうふうに書いてあって。  確かに、ここまで書いてる中では、そうなのかもしれないなと。どうなんだろうなと思いながら、ずっと読んでました。もう1人の自分っていうのでは、初めてその別人格みたいなものが出てきて。ちょっと興味深いなと思って読んでました。  お母さんが幻聴があるとかなんか。その前にもちょっと出てたけど、なかなか大変な背景を持った方なんだなとか。あと、もう1人の自分が覚醒したっていうことで。なんか乖離性人格性障害みたいなかんじの方かな。でも、そういうのには、外傷的なものがあるんだろうなとか、ちょっと思いながら、読みながら。かつ、実際一人一人やっぱ違うから。じゃ、この方の人格っていうのはどんな方なんだろうかな、とかって思いながら読んでました。  性的虐待の話が出てきて。ある意味やっぱりそうだなぁ、とかっていうのを思って。でもそれがどんな体験だったんだろうなっていうことを。ちょっと辛かっただろうなというか、すごく痛々しいなっていう思いを持ちながら読んでいました。  で、お母さんが入院してるときは幸せだったっていう。すごくなんかリアルな語りだなぁとかっていうのを思ったり。お母さんへの怒りっていうのが表出されて。でもそれは良かったな、この方が怒りを表出できてよかったなっていうことを思ったりしました。  対人関係についても、この方自身のパターンを自分で認識して理解されてるんだなぁっていうのも思ったり。なんかこう、人に対する不信感があるっていうことを、しっかりこの方の言葉として出してるっていうことで。ちょっと外側に持っていけてて、いいなっていうことを思いながら読んでました。  [沈黙]  <調査者>止めましょうか?  いや、大丈夫だと思うんです。  お母さんを理解するために、医療職に就きたいっていう思いが出てきたって。そのお母さんとの葛藤を語られる中で、こう「ぐわー」とする感じっていう。なんか感覚みたいなことにちょっと開かれていってるんだなっていうことを思って。で、次に大人のAさんが出てきて。なんかこう、この方自身の深まりというか。とともに、いろんな人格。出てくる人格も違ってくるんだなぁっていうことを思ったりしてました。  そっか。  テレビでのレイプシーンにちょっと反応してしまうっていうことをきっかけに。そのような体験が?っていうふうに尋ねると、なんか徐々に、小さい頃の性的虐待とか、性暴力の体験が具体的にこう語られるっていうところで。本当になんか、このセラピー自体、Aさん自体にとって、ものすごく辛いところというか、一番ちょっと痛みを伴うところだろうなと思いながらも。こういうことがセラピーで語られたのは、よかったなぁって思ったりとかしました。  だんだんと、女性だっていうことを受け入れられないとか、自分が少年とかって考えてるっていうところとかで。なんかだんだんとこう、問題というかそういうものが、少しずつ、統合じゃないけど。そういうことをされてるのかなとかって。ちょっと大っきく、枠組みというかそういうのが大きくなってるなっていうのを思いました。  中学生のときの私っていうのが出てきて。ものすごく怒りとか衝動性とかの強い人格が出てきたっていうことだけど。そういう人格が出てきたんだなっていうことを思いながら。でもその背景になったようなことが語られていて、そういうことを思い出したんだなとかっていうことを思いましたね。  ここの辺りで、Aちゃんとの合体っていうことが語られるんだけど。さもありなんというか、これだけセラピーが進んできたら、そういうことも起こるかもしれないなぁっていうことを思いながら読んでました。この方自身の自分の純粋性が人を遠ざけるとか、なんか内省力があるなぁっていうこともすごく思いながら読んでました。ぬいぐるみも今はただの人形になったとかっていう記述があったんですけど。自分の内側で、なんかそういう人格というか、そういうのを合わせていくことができてるんだなぁっていうことを思って。ちょっとほっとしたというか、そういうふうに思いました。  このあたりからお母さんについての、なんていうか、アンビバレントな気持ち。憎しみもあるけれど、やっぱり愛して欲しかった甘えたかったっていうようなことが書かれているんですけど。ようやくそういうことも言えるようになったんだなって。すごく切ない気持ちとほっとした気持ちというか。そういうなんか、私自身もなんていうかな、体温がちょっと変わるような感じで、このあたりは読んでいました。  次に、若いA男っていう男性の人格が出てくるっていうのがあるんですけど。それも、そういう人格もあるんだっていう。なんかこう、びっくりというか、どんな人格なのかなみたいな。ちょっと興味を持ちながら読んでました。  うーんそうだな。  セラピストが、そのA男っていう人格も肯定的に捉えてるんだっていうのを見て、そういう捉え方も素敵だなぁとかと思って読んでいました。  あと、お母さんに、「A、助けて」っていうふうに言われたっていうことで。母親に愛されてるっていう自信を得ることになった、っていうところがあって。なんか今までとは違う母親の見方というか、記憶みたいなのが蘇ったんだなぁと思って。この方自身の中での変化が起こっているんだなぁと思ったりしました。  次が、医療職に就くっていうことをめぐってのところだったんですけど。  [沈黙]  <止めましょうか>  大丈夫かもしれないです。  最初は、医療職になるっていうことは、自分の十字架であって、生きるか死ぬかの光であった、っていうようなことが書いてあって。なるほどなぁとかって思いながら。でもなんか、そういう気持ちで医療職になると、なかなかちょっとつらいこともあるだろうなーとかっていうのを思いながら、ここ読んでいました。  その後で、Aちゃんっていう人格が、もっと遊びたいとか、花畑に行きたいみたいな、お花畑で遊んでいたいみたいなことを言ってて。なんかこう、もっと正直なというか、そういう部分も感じられる。別の人格としてっていうことだけど、感じられるようになってるんだぁと思って。これからがどんなふうになるのかなぁとは思いながらも。いろんなことを、別の人格としてでも、感じて言葉にできるのは良かったなっていうことを思ってました。  考察に入ったんですけども。基本的に私は、その事例紹介のところは、本当に、すごく想像しながら中に入って読むので。結構エネルギーも使うし、なかなか先に進み難いところもあるんですけど。考察は。この方、書き手の人がそれをどう捉えてたかっていうこととか、それのおさらいみたいな感じだったので。何ていうかな。事例を書かれてるところよりかは、なんか割とサーと読んでいけるような気がしていました。  なんか、書かれていることの捉え直しっていうことで。なんか、自分がその事例の中で、自分が仮に体験したことっていうのが、こんなふうにまとめたりとか象徴されてるんだ、とかって思いながら。なるほどなぁ、とかって思ってちょっと読んでいってました。  なんだろな。自分がこう、やっぱりいろいろと引っ掛かったテーマみたいなものが。考察の中で。親の期待であるとかこの方自身の怒りであるとか。なんかそういうことが書かれてて。そうだよねと思いながら読んでいってました。  何だろう。本文の中に、ドロドロした感じとか外傷体験とかについて書いてて。自分自身も読みながら。痛みとか、そういうドロドロした感じの中にちょっと入るような感じで読んでいってたんですけど。そこでちょっと、距離を置いた形で、この考察で、そういうのが書かれてるっていうことで。その自分の体験自身にもちょっと蓋がされるというか、なんかちょっと、ちょっと距離を置いて取り出して、形にしてあるっていうような感じがあったので。読むことで自分自身の体験にもちょっと蓋がされるような、そんな気持ちを思いながら、読んでました。  なんか、この筆者の人は、フォーカシングとかフェルトセンスっていうことに着目したりとか、そういう手法を使ってやっているんですけど。そういう視点から捉えたらどういうことが起こってるって考えられてて。「どういうことをした」とこの方は捉えてるのかっていうのが具体的に書かれてて。なんか。あぁ興味深いなと思って読んでました。  で、途中で、A男っていう、人格については、自分自身でもチョットなんかこう、定め難いようなところがあるんですけど。ここで書かれてること自身に、ちょっとどういうことかなって。ちょっとまだわからないなと思いながら、線を引いたりもしてました。この辺りは、Aさんとの関係っていうところは、割となんかスッスッスッと理解できるような感じで。そんなに線も引かずに、そうだよねとかって思って読み進めました。  ここは結構、フェルトセンスっていう。自分にとってはそんなに馴染みのないことなんですけど。手法としては馴染みのないものなんだけど。でもすごく、やってること自体はわかるなっていうことを思いながら。フェルトセンスとかフォーカシングっていう視点から見たら、こんなふうに捉えられるんだなと思って。ちょっと興味深く思って読み進めてました。  最後に、セラピスト自身の感じっていうことも書かれてて。すごくそうだろうなっていう。正直に書いておられるんだなっていうことを思いました。  あとは、どんな文献を読まれてるのかなとかっていうのをちょっと思って、ザーと見てます。