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タイトル: Une réflexion sur le kantisme : le cas Paul Ricoeur(1)
その他のタイトル: カント主義についての一考察 : ポール・リクールの場合(1)
著者: SUENAGA, Eriko
著者名の別形: 末永, 絵里子
発行日: 30-Nov-2011
出版者: 京都大学文学研究科宗教学専修
誌名: 宗教学研究室紀要
巻: 8
開始ページ: 3
終了ページ: 19
抄録: 本論の目的は、ポール・リクールの論文「希望による自由」(1969)を主導する、「ヘーゲル以後のカント主義」という観念の内容を明らかにすることにある。われわれはまず、エリック・ヴェイユの自己規定に由来するこのカント主義の本質を、G・キルシャーおよびF・ギュバルによる「ヘーゲル以後のカント主義者」という定型句の受容の仕方を通して検討する。次に、われわれは、リクールにおける「ヘーゲル以後のカント主義」の核心をなす、「2つの弁証論におけるカント」の意味を明らかにする。言いかえるなら、リクールが『純粋理性批判』および『実践理性批判』の弁証論に認める意義を明らかにする。リクールの考えでは、これら2つの批判書における弁証論の部分こそ、ヘーゲルによるカント批判の後もなお生き延びうる、しかも、ヘーゲル主義全体を凌駕しうる「カント主義の部分」だというのである。具体的には、カント的弁証論の2つの軸をなす「限界概念(Grenzbegriff)」および「仮象(Schein)」に光を当て、ヘーゲル主義との対立という観点から、カント哲学が「限界の哲学」であることを示す。これに対し、今度はヘーゲル主義との親和性という観点から、この限界の哲学が、同時に「全体化の実践的要求」に貫かれていることを示すこと。それによって、「宗教における自由についての解釈学」というリクール論文の課題を再び視野に入れつつ、キリスト者の信の根幹をなす「宣教(proclamation du kérygme)」(リクールの言い方では「希望の宣教」、さらには「自由の宣教」)という言行為に、哲学者カントの言述の側で対応する事態を突きとめること。それが、次の研究におけるわれわれの課題となる。
DOI: 10.14989/151324
URI: http://hdl.handle.net/2433/151324
関連リンク: https://www.bun.kyoto-u.ac.jp/religion/rel-works/
出現コレクション:Vol.8

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