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ctz_11_304.pdf | 709.62 kB | Adobe PDF | 見る/開く |
タイトル: | <特集論文 : 証言・告白・愁訴 --医療と司法における語りの現場から>異なる場所からの声を聴く --立木・仲ら・西論文へのコメント |
その他のタイトル: | Listening to voices from another place |
著者: | 高木, 光太郎 |
著者名の別形: | TAKAGI, Kotaro |
キーワード: | 想起 痛み 絶対的な「距離」 個的な水準での出会い remembering pain absolute distance encounter at the level of individuals |
発行日: | 31-Aug-2019 |
出版者: | 京都大学大学院人間・環境学研究科 文化人類学分野 |
誌名: | コンタクト・ゾーン |
巻: | 11 |
号: | 2019 |
開始ページ: | 304 |
終了ページ: | 311 |
抄録: | 映画「ブレードランナー」の"tears in rain monologue"として知られる回想シーンでは、逃亡した人造人間が死の間際、自身の個的な経験を想起して、追っ手である人間に語り聴かせることで、人間との間に絶対的な「距離」を生み出し、追う者と追われる者という暴力的な関係から束の間であるが自由になる様子が印象的に描かれていた。想起がこのように聴き手との間に絶対的な「距離」を生み出すのは、他者が共有困難な時空間的持続として現在の環境を探索する行為であることによる。本特集に掲載された3論文(立木論文、仲ら論文、西論文)は共に、こうした絶対的な「距離」に隔てられた時空間的持続から発せられる声に対して、その外部にいる他者がどのような姿勢を取り得るのかという問題に重要な洞察を与えてくれるものであった。精神分析のセッションを扱った立木論文と、司法面接を扱った仲ら論文では、個的な体験の想起をいかに「聴く」のかが問題になっていた。いずれの場合も、聴き手は体験者の自由な語りに干渉しないことによって、体験者の個的な水準に由来する不自由さ(亀裂)を浮かび上がらせ、評価的、解釈的な介入は想起が終結するまで意図的に遅延させるという姿勢がみられた。一方、痛みの経験を扱った西論文では、個的な身体的経験として痛みを表現する患者と、医療者としてそれに対処する在宅看護師や医師が、それぞれの姿勢を「ある程度」維持したまま相互に接続することを可能にする媒介物を通して接続されていた。想起や痛みを語る声に対するこのような聴き手の姿勢は、コミュニケーションを社会的な水準ではなく、個的な水準での人々の出会いとして捉える可能性を示唆するものであり興味深い。 |
URI: | http://hdl.handle.net/2433/243985 |
出現コレクション: | 011 |
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