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タイトル: <論文>「朱雀日記」と『京都名勝記』 --明治45年谷崎潤一郎の京都ガイドブック--
その他のタイトル: <Articles>Suzaku Nikki and Kyōto Meishōki: Tanizaki Jun'ichiro's 1912 Kyoto Guidebook
著者: 藤原, 学  KAKEN_name
著者名の別形: FUJIWARA, M.
キーワード: 谷崎潤一郎
朱雀日記
京都
ガイドブック
京都名勝記
Jun’ichiro TANIZAKI
Diary of SUZAKU
Kyoto
Guidebook
Kyoto Meishou Ki
発行日: 28-Feb-2023
出版者: 京都大學人文科學研究所
誌名: 人文學報
巻: 120
開始ページ: 131
終了ページ: 157
抄録: 『朱雀日記』は谷崎潤一郎(1886-1965)の京都訪問記である。1912年4月から5月にかけて「大阪毎日新聞」「東京日日新聞」に19回にわたって連載された。本稿は,その執筆に際して,谷崎が『京都名勝記』を参照したことを考証するものである。京都府立京都学・歴彩館には「朱雀日記」の手稿が所蔵されている。その中から連載第13回「大極殿趾」全文を翻刻し,掲載する。同回では,大極殿旧趾,羅城門旧址,一条戻橋などが紹介されている。それらの名所旧蹟について,1894年から1911年に刊行された京都案内書38冊を調査した結果,『京都名勝記』を参照したことを特定した。特定するための論拠となった一例をあげると,「朱雀日記」では戻橋に関連して,『平家物語』「剣の巻」を引用しているが,内容に誤りがあり谷崎はその物語自体は読んでいなかったにも関わらず,全く同一の一節が『京都名勝記』にも引用されていること,さらに,戻橋の紹介で「剣の巻」に言及している案内書は同書以外にないこと等から導かれた結論である。『京都名勝記』は京都市参事会編で1903年4月に上中下三巻で刊行された京都の案内書である。皇宮など皇室関連の記述は1895年の平安奠都千百年祭にあわせて刊行された『京華要誌』を踏襲しながらも,名所旧跡については関連する古典文学や説話を広く紹介するなど,より一般向けに改訂し編集されたものである。谷崎は『京都名勝記』の複数の項目を再構成するかのように,遷都当初の平安京イメージを「朱雀日記」で表現したが,その際に用いた対句や修飾語は,「金色の死」(1914)や「鶯姫」(1917)など,後年の作品にも用いられている。それらは芸術的理想郷を表現する場合に用いられており,『京都名勝記』が1910年代の谷崎に及ぼした影響は無視しえないものといえる。
“Diary of SUZAKU (Suzaku Nikki)” by Jun’ichiro TANIZAKI (1886-1965) is a diary of his first visit to Kyoto. From April to May 1912, it was serialized over 19 issues in major newspapers in Tokyo and Osaka. This paper examines the fact that Tanizaki referred to "Kyoto Meishou Ki" for writing it. A full text of the 13th issue in the series will be reprinted from the original manuscript of “Diary of SUZAKU”, which belongs to “Kyoto Institute, Library and Archives” Tanizaki introduced the historical sites of Daigokuden and Rajomon and Modoribashi in it. After the inspection of 38 guidebooks on Kyoto published between 1894 and 1911, we identified that “Kyoto Meishou Ki (1903)” was the reference Tanizaki used. In “Diary of SUZAKU”, Tanizaki expressed the image of Heiankyo at the time of the relocation of the capital with descriptions which closely refer to the “Kyoto Meishou Ki''. The couplets and modifiers in it were also used in his later “Konjiki no Shi” (1914) and “Uguisu Hime” (1917) to express a character’s dreaming utopia. “Kyoto Meishou Ki” has played a great influence in Tanizaki’s writings in the 1910s.
記述: 特集 : 近代京都と文化
Special Issue : Modern Kyoto Culture
DOI: 10.14989/281923
URI: http://hdl.handle.net/2433/281923
出現コレクション:第120号 <特集 : 近代京都と文化>

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