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edsy0606.pdf | 844.52 kB | Adobe PDF | 見る/開く |
完全メタデータレコード
DCフィールド | 値 | 言語 |
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dc.contributor.author | 赤上, 裕幸 | ja |
dc.contributor.alternative | Akagami, Hiroyuki | en |
dc.date.accessioned | 2007-06-27T10:52:28Z | - |
dc.date.available | 2007-06-27T10:52:28Z | - |
dc.date.issued | 2007-03-31 | - |
dc.identifier.issn | 13471562 | - |
dc.identifier.uri | http://hdl.handle.net/2433/44031 | - |
dc.description.abstract | GHQ(General Headquarters、連合国総司令部)による占領期から特にその終結期にかけて「戦後反戦映画」が多数作られ、興行的にも大きな成功を収めている。1950年の『また逢う目まで』、『暁の脱走』、『きけわだつみの声』、1953年の『ひめゆりの塔』、『君の名は(第1・2部)』、1954年の『二十四の瞳』、『君の名は(第3部)』などがそれにあたる。 これらの反戦映画が、戦時中の映画体制との関わりの中で語られることはほとんどない。しかし、戦意高揚映画が多数作られ戦争に邁進していった戦中と、反戦映画が多数作られ平和国家建設に邁進していった戦後と、一体どれほどの違いがあるというのだろうか。近年のメディア史研究においては、戦前戦後の間に「断絶」ではなく「連続性」が存在すること、すなわち戦後のマス・コミュニケーション学のパラダイムが、戦中の総力戦体制に由来するということが指摘されている。 本論文では、この「総力戦の継続」という視点に着目し、占領期を中心とした時期(1945年~54年)を「戦後総力戦体制」と定義し、戦中も含めたメディア史の流れの中で、いかに「戦後反戦映画」を位置付けることができるかに重点をおいて分析していく。 | ja |
dc.format.extent | 864787 bytes | - |
dc.format.mimetype | application/pdf | - |
dc.language.iso | jpn | - |
dc.publisher | 京都大学大学院教育学研究科生涯教育学講座 | ja |
dc.subject.ndc | 010 | - |
dc.title | 映画の「戦後総力戦体制」 | ja |
dc.title.alternative | Total war system in the postwar film | en |
dc.type | departmental bulletin paper | - |
dc.type.niitype | Departmental Bulletin Paper | - |
dc.identifier.ncid | AA11645295 | - |
dc.identifier.jtitle | 京都大学生涯教育学・図書館情報学研究 | ja |
dc.identifier.volume | 6 | - |
dc.identifier.spage | 43 | - |
dc.identifier.epage | 52 | - |
dc.textversion | publisher | - |
dc.sortkey | 06 | - |
dcterms.accessRights | open access | - |
dc.identifier.pissn | 1347-1562 | - |
出現コレクション: | 第6号 |
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