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タイトル: ジョルダーノ・ブルーノにおける感情と時間--『英雄的狂気』の三つの獣の頭をもつ時間の寓意から
その他のタイトル: Affect et temps chez Giordano Bruno. À partir de la figure tricéphale dans le De gli eroici furori
著者: 岡本, 源太  KAKEN_name
著者名の別形: OKAMOTO, Genta
発行日: 20-Dec-2009
出版者: 京都大学大学院人間・環境学研究科
誌名: 人間・環境学
巻: 18
開始ページ: 39
終了ページ: 49
抄録: 『英雄的狂気』(1585)のなか, ジョルダーノ・ブルーノ(Giordano Bruno, 1548-1600)は, 狼・獅子・犬の三つの獣の頭をもつ形象に言及している. 古くから「時間」の寓意とされてきたこの形象は, ブルーノにあっても, 人間の至高の生たる「英雄的狂気」に生きる者にとっての「時間」を寓意するものである. けれども, あるひとつの細部が, ブルーノをそれまでの寓意解釈と隔てているだろう. それまで力あり熱意ある「行為」の時間とされていた「現在」が, ブルーノにあっては, 苦しめられ悩まされる「苦悶」の時間とされているのである. この瑣末とも思える差異は, 実のところブルーノの哲学の重要な論点を明るみに出すものである. ここでは, この細部の差異を手掛かりに, 「感情」と「時間」をめぐるブルーノの思索をあとづけたい. それにより明らかとなるのは, 現在の苦悶, ひいては感情の葛藤こそが未来へと持続する享受を可能にするという, ブルーノの特異な思想である.
Dans le De gli eroici furori (1585), Giordano Bruno (1548-1600) décrit la figure tricéphale (le loup, le lion et le chien) comme allégorie du Temps dans lequel le furieux héroïque vit. La figure tricéphale n'a pasété inventée par Bruno dans la mesure où elle s'interprétait traditionnellement comme allégorie du Temps. Mais il y a une différence qui sépare Bruno de la tradition. Selon Bruno, le présent se caractérise par l'affliction, bien qu'il se caractérise traditionnellement par l'action. À partir de cette différence, je tente ici de tracer la pensée de Bruno sur l'affect et le temps, selon laquelle c'est l'affliction dans le présent qui rend possible la jouissance continuelle.
著作権等: ©2009 京都大学大学院人間・環境学研究科
URI: http://hdl.handle.net/2433/109787
出現コレクション:第18巻

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