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2012journal_05.pdf | 345.24 kB | Adobe PDF | 見る/開く |
タイトル: | Une réflexion sur le kantisme : le cas Paul Ricoeur (2) |
その他のタイトル: | カント主義についての一考察 : ポール・リクールの場合(2) |
著者: | SUENAGA, Eriko |
著者名の別形: | 末永, 絵里子 |
発行日: | 29-Nov-2012 |
出版者: | 京都大学文学研究科宗教学専修 |
誌名: | 宗教学研究室紀要 |
巻: | 9 |
開始ページ: | 45 |
終了ページ: | 67 |
抄録: | 本研究の目的は、ポール・リクールの論文「希望による自由」 (1969) を主導する「ヘーゲル以後のカント主義」という観念の内容を明らかにすることにある。E・ヴェイユに由来するこの観念は、ヘーゲル主義的な批判をくぐり抜けた後もなお可能な思想的立場としてのkantisme という意味をもつ。前回の考察では、リクールがこれを「二つの弁証論におけるカント」という角度から見られたkantisme として理解していること、そのようなものとしてのkantisme が、理論理性の弁証論と実践理性の弁証論で問題と化す限界概念 (理念および最高善という概念) によって印しづけられる、二つの境界領域を舞台とする思索であることを示した。現象と物自体の間、道徳と宗教の間のこれら二つの境界領域とは、認識に対する思惟、意欲に対する希望のはたらきが問題となる場である。そうして、まずヘーゲル主義との対立という観点から、kantisme が限界の哲学であることが示された。しかし実際、二つの境界領域は、理念の三つの超越的対象を媒介として意味の連続性の内にある。それに、二つの弁証論におけるカントを核とするkantisme にリクールが認めている積極的価値は、全体化や体系化への自らの傾きに対する理性自身の抑止機能、限界画定の機能だけでなく、理性の相反するはたらきが生み出す緊張に注意を促す点にある。今回の考察では、この意味の連続性を示すものとして、実践理性の弁証論で展開される要請の教説に、この緊張を表現するものとして、純粋実践理性の要請において問題となる希望に光をあてる。その際、リクールの解釈学の試みとの関係で、キリスト者の宣教とそこで問題となる希望を考察の参照軸とする。それによって、今度はヘーゲル主義との親和性という観点から、限界の哲学が同時に全体化の実践的要求に貫かれていることを示す。 |
DOI: | 10.14989/168190 |
URI: | http://hdl.handle.net/2433/168190 |
関連リンク: | https://www.bun.kyoto-u.ac.jp/religion/rel-works/ |
出現コレクション: | Vol.9 |
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