ダウンロード数: 313

このアイテムのファイル:
ファイル 記述 サイズフォーマット 
2012journal_03.pdf280.29 kBAdobe PDF見る/開く
タイトル: Heideggers Daseinsanalyse als Freundschaftslehre : Um die Miteinander-Befreiung
その他のタイトル: 友情論としてのハイデッガーの現存在分析 : 相互解放をめぐって
著者: TANABE, Yoshiomi
著者名の別形: 田鍋, 良臣
発行日: 29-Nov-2012
出版者: 京都大学文学研究科宗教学専修
誌名: 宗教学研究室紀要
巻: 9
開始ページ: 3
終了ページ: 20
抄録: ハイデッガーの主著『存在と時間』(1927)は、その刊行当初から、他者の問題に関して重大な欠陥があると指摘され、繰り返し批判されてきた。それらに共通するのは、ハイデッガーは他者をもっぱら匿名的な「世人」、非本来的な現存在としてのみ見ており、他者は現存在の「本来性」からは締め出されている、という主張である。こうした批判が、その後の様々な他者論・倫理学の展開に寄与した、ということは周知であろう。だが近年、このような批判に抗し、ハイデッガーの他者論を積極的に見直そうとする動きがある。それらは総じて、ハイデッガーの議論の不十分さを認めつつも、そのなかに従来は看過されがちであった他者との本来的なかかわり方を探り出そうとする傾向にある。その際、一様に注目される概念が、『存在と時間』のなかで二度ほど語られた「率先的顧慮」という現存在のあり方である。「解放的」とも形容されるこの顧慮は、なるほど他者を世人支配から解放し、その独自な本来性に向けて自由にすると言われている以上、他者との本来的なかかわり方と言えるかもしれない。だがすでにレーヴィットが指摘しているように、この顧慮は一見すると他者への一方的な関係に留まっており、そこには共存在にとって本質的な「相互性」が欠落しているようにも見える。ただハイデッガー自身は、もちろん充実した議論には至っていないものの、この率先的顧慮のうちに「本来的な相互性」の存在を指摘している。率先的顧慮が他者の解放を目的とするものであるなら、この相互性はひとまず、「互いに解放し合う」という意味での「相互解放」と解することができよう。実は『存在と時間』の草稿にあたる『1925 年夏学期講義』のなかで、ハイデッガーはこうした「相互解放」について触れており、それを「友情」と呼んでいる。そうすると率先的顧慮における相互性の問題は、ある種の「友情論」として展開しうる余地が出てくると思われるが、管見では、この問題を十分な仕方で追究した研究はいまだ見受けられない。そこで本論は、『存在と時間』における相互性の問題を、友情論という観点から考察することを目指して、まずは率先的顧慮の規定を確認し (第一節)、つぎに他者の本来的な可能性の開示を「先駆的決意性」のなかに求める (第二節)。そして率先的顧慮の具体的なあり方を「友の声」と呼ばれる現象に即して明らかにすることにより (第三節) 、最終的には、相互解放としての友情の成立可能性を歴史的な「伝承」のうちに探ろうと思う (第四節)。本論の試みを通じて、ハイデッガーの思索のなかに世代を超えて通じ合う「友情」の新たな可能性を提示したい。
DOI: 10.14989/168192
URI: http://hdl.handle.net/2433/168192
関連リンク: https://www.bun.kyoto-u.ac.jp/religion/rel-works/
出現コレクション:Vol.9

アイテムの詳細レコードを表示する

Export to RefWorks


出力フォーマット 


このリポジトリに保管されているアイテムはすべて著作権により保護されています。