ダウンロード数: 2000

このアイテムのファイル:
ファイル 記述 サイズフォーマット 
cap_9_33.pdf490.63 kBAdobe PDF見る/開く
完全メタデータレコード
DCフィールド言語
dc.contributor.author三木, 那由他ja
dc.contributor.alternativeMiki, Nayutaen
dc.contributor.transcriptionミキ, ナユタja-Kana
dc.date.accessioned2017-08-01T02:41:36Z-
dc.date.available2017-08-01T02:41:36Z-
dc.date.issued2017-07-31-
dc.identifier.issn1883-4329-
dc.identifier.urihttp://hdl.handle.net/2433/226626-
dc.description.abstract柏端の『コミュニケーションの哲学入門』は単なる入門書ではなく. 大きく四つの積極的な主張を含む野心的な著作である. すなわち, 1. コミュニケーションとは「メッセージ」を送る行為である. 2. コミュニケーションに言語使用は必要でも十分でもない. 3. コミュニケーションの核となる行為は独特な自己言及的要素を持つ意図を伴った行為として分析される. 4. コミュニ ケーションには思考の言語も必要ではない. というのが柏端の打ち出す見解だ. とりわけ本書の独創性が見られるのは. 非自然的意味(話し手の意味)の分析において自己言及的意図を持ち出す立場へのサポートとして柏端が展開する議論である. 柏端はそこで. 心的態度そのものと文による心的態度の記述とを峻別するという見解に基づき. 自己言及的意図への依拠を無害化しようと試みているのである. 本稿では柏端の議論を要約. 補足するとともに. 柏端の主張に対して四つの批判を試みる. ここで提起する論点は1. コミュニケーションという現象は柏端の特徴づけ通りに画定できるのか. 2. コミュニケーションの成立時に起きていることを柏端は十分に捉えているのか. 3. 柏端の利用する「メッセージ」という概念の特徴づけは十分に正当化されているのか. 4. 心的態度に対する柏端独自の見解は柏端の分析を十分にサポートできているのかである. 本稿ではそのすべてに否定的に答える.ja
dc.format.mimetypeapplication/pdf-
dc.language.isojpn-
dc.publisher応用哲学会ja
dc.publisher.alternativeJapanese Association for the Contemporary and Applied Philosophy (JACAP)en
dc.subject『コミュニケーションの哲学入門』ja
dc.subjectコミュニケーションja
dc.subject意味ja
dc.subjectグライスja
dc.subject意図基盤意味論ja
dc.subject.ndc100-
dc.title<書評>コミュニケーション・意味・意図 (書評 : 柏端達也(2016)『コミュニケーションの哲学入門』(慶應義塾大学出版会, 105頁))ja
dc.typejournal article-
dc.type.niitypeJournal Article-
dc.identifier.jtitleContemporary and Applied Philosophyen
dc.identifier.volume9-
dc.identifier.spage33-
dc.identifier.epage65-
dc.textversionpublisher-
dc.sortkey02-
dc.address京都大学ja
dc.relation.urlhttps://jacap.org/journal/-
dc.identifier.selfDOI10.14989/226626-
dcterms.accessRightsopen access-
dc.relation.isDerivedFromhttps://jacap.org/journal/-
dc.identifier.pissn1883-4329-
dc.identifier.eissn1883-4329-
出現コレクション:vol. 9

アイテムの簡略レコードを表示する

Export to RefWorks


出力フォーマット 


このリポジトリに保管されているアイテムはすべて著作権により保護されています。