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タイトル: 日本語のエビデンシャリティ : 「-ている」を事例に
その他のタイトル: Evidentiality in Japanese: A Case of -te iru
著者: 永井, 宥之  KAKEN_name
著者名の別形: NAGAI, HIROYUKI
キーワード: エビデンシャリティ(evidentiality)
テンス・アスペクト
認識的モダリティ
発行日: Dec-2017
出版者: 京都大学大学院人間・環境学研究科言語科学講座
誌名: 言語科学論集
巻: 23
開始ページ: 1
終了ページ: 18
抄録: 話し手が何を根拠に文を述べるかということは、言語表現に反映されることがある。話し手が文を述べる際の情報源は、知覚を通じて得られた情報もあれば、話し手の記憶に基づく場合もある。話し手がある文を述べる際にどのような情報を根拠に述べているかということを示す機能をもつ文法カテゴリーは、エビデンシャリティ(evidentiality) と呼ばれる。また、話し手が依拠する情報源を表すための、個別の言語形式はエビデンシャル (evidential) と呼ばれる。エビデンシャリティは通言語的な概念であり、さまざまな言語で記述が進められている(cf. Chafe and Nichols 1986, Aikhenvald 2004, Diewald and Smirnova 2010c)。しかしながら、日本語のエビデンシャリティの記述は、質・量ともに充実しているとはいい難い。本論文の目的は、これまでアスペクト形式として分析されてきた「-ている」のエビデンシャリティ的側面を分析することにより、日本語におけるテンス・アスペクトとエビデンシャリティの不可分性を示し、今後の日本語エビデンシャリティ研究の方向性を示すことである。まず、2節では、エビデンシャリティの概念について導入するとともに、日本語のエビデンシャリティについての研究を概観し、その記述の問題点を指摘する。これによって、日本語エビデンシャリティの記述において考慮すべき点を明らかにする。3節では、事例研究として、従来テンス・アスペクトの標識として分析されてきた「-ている」を取り上げ、そのエビデンシャリティ的側面を観察する。これによって、従来テンス・アスペクトの標識として分析されてきた表現が、エビデンシャルとして分析可能であることを示す。4 節では本論文での議論をまとめ、今後の展望を述べる。
This paper aims to show inseparability of evidentiality and tense-aspect markers in Japanese. When we make sentences, some source of information is essential. Some languages may have grammatical elements to indicate it, which are called “evidentiality” from the typological perspective. Recently, descriptive studies of evidentiality are growing in various languages. This paper examines several dimensions of -te iru from the viewpoint of evidentiality. It will be proposed that a speaker can use -te iru as an evidential (i.e., markers of evidentiality) if s/he has a certain information source at the moment of speaking. The main points of the discussion are as follows. Firstly, although -te iru does not correspond to a particular kind of information source, this can be used on the basis of various sources such are perceptual experience and recalling short or long-term memory. Secondly, in the cases where -te iru is actually used to denote future or past events, they are not acceptable if they lack any kind of evidence for the occurrence of the events. Thirdly, it will be pointed out that -te iru is a mirative marker (i.e., signals of speaker’s surprise or unprepared mind). Typological researchers have argued that evidentiality and mirativity are closely related and that evidentials may also have a mirative usage (e.g., Slobin and Aksu 1982, Aikhenvald 2004). Since -te iru is used as an evidential, it is typologically reasonable that this can be employed as the mirative marker.
著作権等: © 2017 京都大学大学院 人間・環境学研究科 言語科学講座
DOI: 10.14989/230340
URI: http://hdl.handle.net/2433/230340
関連リンク: http://www.hi.h.kyoto-u.ac.jp/modules/PLS/
出現コレクション:第23号

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