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タイトル: <論説>中国の選挙と貢挙と科挙
その他のタイトル: <Articles>Suan-chu 選挙, Kung-chu 貢挙,and K'o-chu 科挙 in china
著者: 曾我部, 静雄  KAKEN_name
著者名の別形: Sogabe, Shizuo
発行日: 1-Jul-1970
出版者: 史学研究会 (京都大学文学部内)
誌名: 史林
巻: 53
号: 4
開始ページ: 488
終了ページ: 512
抄録: 中国の官吏登用の選挙制度は、その起源は『周礼』の地官司徒篇や『礼記』の王制篇にあるが、漢ではこれは郷挙里選の名称で行われた。それが三国魏に至って九品中正法に変わり、この九品中正法は晋・南北朝を通じて行われたが、西魏の権臣であって北周の始祖となった宇文泰が、周礼学者の蘇綽や廬辯を重用して『周礼』を直訳したような制度を造らしめて実施したことによって、九品中正法は廃止となり、新らたな『周礼』による官吏登用制度が生まれ、その制度は西魏・北周から隋に及び、更らには唐・五代・宋に継承されて、その間に『礼記』の制度も加味され、名称も初めは貢挙と言われたものが、段々と科挙と称せられるようになった。
The origin of the appointment system for government officials in China, Süan-chü 選挙, may be found in Ti-kuan-szŭ-t'u-p'ien 地官司徒篇 in Chou-li 周礼 or Wand-chih-p'ien 王制篇 in Li-chi 礼記, and in Han 漢 it was the system of Hsiang-chü-li-süan 郷挙里選, which was changed into Chiu-p'in-chung-chêng 九品中正 in San-kuo-wei 三国魏. This system, however, led to many evils as time went on, so that it was abolished in Si-wei 西魏 and government officials were appointed through the new system after Chou-li. This new system was succeeded by Pê-chou 北周, Sui 隋, T'ang 唐, Wu-tai 五代 and Sung 宋 with the system of Wang-chih-p'ien 王制篇 in Li-chi 礼記 added, and its name was called Kung-chü 貢挙 and then K'o-chü 科挙 from about the T'ang era.
記述: 個人情報保護のため削除部分あり
DOI: 10.14989/shirin_53_488
URI: http://hdl.handle.net/2433/237989
出現コレクション:53巻4号

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