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タイトル: <ノート>オーストリア三月革命について : その研究史をふりかえって
その他のタイトル: <Notes>Recent Studies on the March Revolution in Austria, 1848
著者: 廣實, 源太郎  KAKEN_name
著者名の別形: Hirozane, G.
発行日: 1-Sep-1971
出版者: 史学研究会 (京都大学文学部内)
誌名: 史林
巻: 54
号: 5
開始ページ: 770
終了ページ: 787
抄録: この論文はオーストリアの三月革命に関する研究発達史を整理、回想し、これから先の研究の指針にすることを主目的にしたものである。その意味で、オーストリアにおけるものに限らず、ドイツ、イギリス、アメリカでの出版をも扱ったが、その際、かなり顕著な傾向を指摘することができる。全体的にいえば、第二次大戦のころまでの研究動向は政治史を中心とし、せいぜい諸民族の民族運動を追及したナショナリズムの歴史、そして、ハプスブルク帝国の民族的バランスを視点とした革命史の取扱いが圧倒的に多いことに気づく。このことは戦前の歴史学界の問題意識のあり方、また、研究レベルに関することでもあろうが、本来的に、ハプスブルク帝国の構成や市民革命としての性格のあいまいさに起因していると考えられ、少くとも、ウィーン革命の直接の動機を追っていけば、宮廷内の勢力争い、政権の交替といった、すぐれて政治的側面が強いことがいいうるのである。この政治史偏重の傾向は、第二次大戦後のアメリカの関心によって、ある意味ではより一層促進されていった。戦後、世界政治の中にしめたアメリカの地位が、その観点からする関心を複合民族国家であるオーストリアによせ、その国家的な統合とバランスおよび分裂といった見地からする革命史研究を進めるのである。それは、そうした観点からする政治史の一種であった。このことは、オーストリア三月革命研究における社会・経済史の弱さを逆に、物語っている。事実、民族地域の間における、極度にアンバランスな経済発達がみられ、ハプスブルク帝国全体の経済の把握は困難である。ただ、最近にいたって、革命を経済から説明する実証的研究がみられるようになってきている。将来においては、より綜合的な因果関係の説明が待たれるとともに、個別的、実証的な経済史研究の開拓が望まれるのである。
記述: 個人情報保護のため削除部分あり
DOI: 10.14989/shirin_54_770
URI: http://hdl.handle.net/2433/238050
出現コレクション:54巻5号

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