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タイトル: <論説>平安期の垣内 : 開発と領有
その他のタイトル: <Article>Kaito 垣内 in Heian 平安 Period
著者: 水野, 章二  KAKEN_name
著者名の別形: Mizuno, Shoji
発行日: 1-May-1982
出版者: 史学研究会 (京都大学文学部内)
誌名: 史林
巻: 65
号: 3
開始ページ: 357
終了ページ: 402
抄録: 垣=カキは、本来特定個人が他者の侵犯を許さない、自らに属する空間を生み出す手段であった。この垣で周囲と区画された地が垣内=カキウチ、カイトである。伊勢や大和の諸事例からは、垣内が条里制地割の縁辺の段丘・扇状地や自然堤防、山間部に位置し、当時において、国家的・公的な支配の対象とならない畠地・家地として開発されたものであることが明らかである。垣内は農民的性格の強いものであったが、一一・二世紀には、畠地子収奪・在家役賦課を通じて上級支配権が打ち立てられてゆく。また条件によっては治田化することもあった。このような動きの中で、垣内は言葉・表記の上からも、実体の面からも分化・多様化してゆくのである。
Kaki 垣, the hedge, was by nature the mean by which the individual produced the pale for himself to prevent others from trespassing. The area enclosed with Kaki, was called Kakiuchi or Kaito 垣内. The examples in Ise 伊勢 and Yamato 大和 show that Kaitos were situated on terraces, alluvial fans and banks or between mountains on the edge of Jorisei 条里制 area. They were developed as grounds for plowed fields and residential lands, which were out of the official control. But, in eleventh and twelfth centuries, the lordship was established on them through imposing Hatachishi 畠地子, land tax, and Zaikeyaku 在家役, duties on home site. Under better conditions, they could also turn into paddy fields. In such movement, Kaito got various on the side of reality, as well as its inscribing forms and pronunciation.
記述: 個人情報保護のため削除部分あり
DOI: 10.14989/shirin_65_357
URI: http://hdl.handle.net/2433/238676
出現コレクション:65巻3号

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