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タイトル: 豊臣期遠江二俣における城下町と川湊
その他のタイトル: Spatial Relations between Castles, Towns and River Ports in Futamata Late in the Sixteenth Century
著者: 山村, 亜希  kyouindb  KAKEN_id  orcid https://orcid.org/0009-0007-0867-8886 (unconfirmed)
著者名の別形: YAMAMURA, Aki
キーワード: 城下町
川湊
材木流送
天守
Castle Town
River Port
Timber Floating
Castle Keep
発行日: 28-Dec-2018
出版者: 京都大学大学院人間・環境学研究科「地域と環境」研究会
誌名: 地域と環境
巻: 15
開始ページ: 1
終了ページ: 18
抄録: 天竜川の谷口に立地する遠江二俣には, 16世紀末の豊臣期に, 二俣城と鳥羽山城という2つの機能の異なる城郭が建設された。これらは, 中世から近世への移行期の特性を備えた城郭として評価されている。一方で, その膝下に存在した城下町の形態や機能, 特徴については明らかにされてこなかった。本稿は, 豊臣期二俣城下町の景観を, 同時代史料や地誌, 地籍図, 近世絵図を総合的に活用して復原し, 旧地形や戦国期以来の町や川湊との関係に注目しながら, そのプランを考察した。豊臣期の二俣は, 複数の町場や川湊が地形・歴史条件に適った場所に立地し, 川と街道がそれらを連結していたものの, 全体的には分散的な集落形態であった。その一方で, 町場や川湊からのヴィスタを意識した天守・石垣や, 城郭と町場を結ぶ直線の大手道, その北側の方形街区, 川湊と町場を結ぶ城内通路といった, 二俣城の構造と連動する城下町の空間編成は, 豊臣期における計画性の高さを推定させる。既存の町や川湊は, 二俣城を核として有機的に結び付けられた。豊臣期二俣における城郭及び城下, 周辺地域の機能分担と緩やかな連結は, 中世から近世への移行期特有の城下町空間のあり方を示すものと考える。
DOI: 10.14989/243199
URI: http://hdl.handle.net/2433/243199
出現コレクション:No.15

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