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タイトル: 北陸門徒の關東移民
その他のタイトル: The Emigration of the Shin-Sect Believers from Hokuriku to Kanto District
著者: 五來, 重  KAKEN_name
著者名の別形: Gorai, S.
発行日: 1-Dec-1950
出版者: 史學硏究會 (京都大學文學部内)
誌名: 史林
巻: 33
号: 6
開始ページ: 597
終了ページ: 612
抄録: 近世封建制度崩壞期に簇生した複雜な農村問題は重税、饑饉、貧困、疾病、間引き、一揆、逃散、欠落などの陰慘な色彩にぬりつぶされている。下層農民はこの變動期を生きのびるために瘠腕に血みどろの努力をかさねていた。一方搾収者でありながら沒落寸前の武士階級も農民の保護につとめたが、恐ろしい勢で勃興しつゝある資本主義の前にはほとんど無力にひとしかつた。このとき關東と北陸という局部的な現象ではあつたが宗敎を媒介とする農民の救濟と農村の復興が行われて成功をおさめた。すなわち農村人口の減少のため棄作せられた關東の荒廢地に耕地をもたぬ北陸の零細農民が移住し來り、富裕な自營農民として更生したのである。しかも彼等は貧しくはあるが間引きの惡習を知らぬ敬虔な門徒であり、これを誘引したのは關東の淨土眞宗寺院であつた。經濟的動機の然るべきものは勿論あつたにしても彼等をむすびつけたものが淨土眞宗の信仰であつたことは間違いない。また移民當初の開拓者的苦惱と寂莫をなぐさめたものもその信仰であつた。彼等の信仰はいくぶん關東的變質をとげつゝあるが今もよく眞宗の法義をまもつている。しかし本稿ではそのような宗敎の問題はしばらく擱き、何故にこの移民が行われねばならなかつたか、叉どのような動機でそれが行われたかを經濟史的な觀點からながめたのである。そして封建制度崩壞期の農民の貧困化が風土的、地理的條件と民情および宗敎と政治的施策の相違から關東と北陸とは全く相反する現象を呈し、人口渦剰の北陸農村から人口稀薄の關東農村へ農民が移動したとの結論に到達したのである。
DOI: 10.14989/shirin_33_597
URI: http://hdl.handle.net/2433/248967
出現コレクション:33巻6号

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