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shirin_040_2_89.pdf | 1.66 MB | Adobe PDF | 見る/開く |
タイトル: | <論説>田堵の存在形態 : とくに散田と請作について |
その他のタイトル: | <Articles>A Study of Tato (田堵) : especially on its relation with sanden (散田) and ukesaku (請作) |
著者: | 村井, 康彦 ![]() |
著者名の別形: | Murai, Yasuhiko |
発行日: | 1-Mar-1957 |
出版者: | 史学研究会 (京都大学文学部内) |
誌名: | 史林 |
巻: | 40 |
号: | 2 |
開始ページ: | 89 |
終了ページ: | 115 |
抄録: | 従来田堵の基本的特質とされているのは、庄園領主にたいする強固な力役奉仕=人身的隷属関係、である。しかしながらわたくしには、その根拠とされる史料を見るときに、むしろ否定的な解釈ができるように思われた。そこで、田堵が地子弁進者として史料に頻出するところから、田堵と地子田経営の関係に着目した。その結果、平安期における庄園は散田体制―庄田 (領主直属地) を宛行って請作させる地子田経営―が基本的あり方であり、田堵とはその庄田の請作者であろうことが想定せられ、この事実から、田堵と名主、名と名田の差異も理解できるように思われた。そして、請作者としての田堵の存在が不安定なのは、むしろ田堵にたいする領主の緊縛が弱いからであって、却って名主=名田段階に至って緊縛が強化されたのではないか、と考えられた。本稿はそのような関心から、田堵をめぐる諸問題をわたくしなりに整理してみたものである。したがって、従来の見解にたいして逆の評価を下した点も多いが、一つの試論として受けとって頂ければ幸いである。 Judging from its fundamental sources, it seems incorrect for me to take it for granted that the basic feature of tato (田堵), as it has been explained, is its personal subjection to the manor lords, or its manual labor. Then I tried to throw light on the following facts: the manor in the Heian era was based on the sanden (散田) system……jisiden (地子田) management by the contract of tato in shoden (庄田)(demesne of the manor lord); culminating in the conclusion that tato then subjected to the manor lord in rather weaker degree than under the myoshumyoden (名主・名田) system. |
DOI: | 10.14989/shirin_40_89 |
URI: | http://hdl.handle.net/2433/249287 |
出現コレクション: | 40巻2号 |

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