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shirin_049_2_288.pdf | 936.94 kB | Adobe PDF | 見る/開く |
タイトル: | <研究ノート>カルヴィニズムの発展 : 「ジュネーブ」から「アムボァーズ」へ |
その他のタイトル: | <Note>Development of Calvinism |
著者: | 砂原, 教男 |
著者名の別形: | Sunahara, Norio |
発行日: | 1-Mar-1966 |
出版者: | 史学研究会 (京都大学文学部内) |
誌名: | 史林 |
巻: | 49 |
号: | 2 |
開始ページ: | 288 |
終了ページ: | 304 |
抄録: | カルヴァンのジュネーブにおける改革事業は、一見、非常にはげしいように見えるが、基本的には貴族政的要素を多分にもった保守的なものであった。ところが、彼の弟子の中から君主放伐論が生まれた。君主放伐論は一九七二年のサン・バーテルミー大虐殺によって形成されるとされている。しかし、この理論はこの事件で急に形成されたものではなく、カルヴァンの直接の弟子、それも彼の後継者テオドール・ベザにすでに、かかる傾向が見られるのである。カルヴァンとベザとの微妙な喰い違いが一五六〇年のアムボァーズ事件にすでに見られるのである。 The reforming movement by Calvin in Geneva seemed apparently quite radical, but substantially was a conservative one with a good aristocratic factor. One of his followers, however, brought forward the monarch suppression theory, which was said to be formed by the massacre of St. Bartholomew in 1572. This theory was not formed at once by this case, but this tendency had already been found in his personal disciple, or his successor Theodore Bèze. The delicate difference between Calvin and Bèze was already found in the Amboise conspiracy case in 1560. |
DOI: | 10.14989/shirin_49_288 |
URI: | http://hdl.handle.net/2433/249869 |
出現コレクション: | 49巻2号 |
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