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dc.contributor.author内山, 翔太ja
dc.contributor.transcriptionウチヤマ, ショウタja-Kana
dc.date.accessioned2022-11-18T04:19:23Z-
dc.date.available2022-11-18T04:19:23Z-
dc.date.issued2022-10-31-
dc.identifier.urihttp://hdl.handle.net/2433/277438-
dc.description.abstract都市は近代化の過程のなかで、農村共同体を離れて移動・流浪する人々の空間として顕在化するようになった。日本が高度成長期のただなかにあった1960年代末には、日本映画においても、こうした現象を意識した作品が製作された。本稿では、そのなかでも勅使河原宏が監督し、安部公房が原作・脚本を執筆した映画『燃えつきた地図』(1968年)を取り上げ、都市論・ジェンダー論の観点から論じる。まず、作品公開当時の言説のなかで、この作品が同時代の都市との関連において、どのように論じられていたかを概観する。とりわけ、原作者・脚本家の安部公房による都市論に着目するとともに、1960年代末の日本における、急拡大する都市についての活発な議論のなかで、安部の都市論が占めていた位置を検討する。続いて、『燃えつきた地図』をジェンダーの観点から分析する。本作品に関する公開当時の言説には、ジェンダーの観点はほとんど存在していない。しかしながら、本稿での分析を通じて、映画『燃えつきた地図』における都市の表象が、男性を主体の位置に据えながらジェンダー化されていることが明らかになる。最後に、安部が都市論を展開するなかで示した、従来の共同体の徹底的な解体と、都市住民の移動性の追求によって「都市への解放」を目指す立場が、そうした男性中心的な図式を転覆させる可能性について考察する。ja
dc.language.isojpn-
dc.publisher京都大学大学院人間・環境学研究科 映画メディア合同研究室ja
dc.subject.ndc778-
dc.title<論文>映画『燃えつきた地図』における「都市への解放」 --都市論、ジェンダー論の観点からja
dc.typedepartmental bulletin paper-
dc.type.niitypeDepartmental Bulletin Paper-
dc.identifier.jtitle左岸 : 京都大学映画メディア研究ja
dc.identifier.volume2-
dc.identifier.spage3-
dc.identifier.epage20-
dc.textversionpublisher-
dc.sortkey02-
dc.address京都大学大学院人間・環境学研究科修士課程ja
dc.relation.urlhttps://kucms.org/bulletin-
dc.identifier.selfDOI10.14989/kjcms_2_03-
dcterms.accessRightsopen access-
dc.relation.isDerivedFromhttps://kucms.org/bulletin-
dc.identifier.eissn2436-6013-
dc.identifier.jtitle-alternativeKyoto Journal of Cinema and Media Studiesen
出現コレクション:第2号

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