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ファイル | 記述 | サイズ | フォーマット | |
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arcs_12_56.pdf | 625.68 kB | Adobe PDF | 見る/開く |
タイトル: | <翻訳>ドイツ語圏のプロテスタント教義学における最近の動向 |
その他のタイトル: | <Translation>Neuere Tendenzen in der deutschsprachigen evangelischen Dogmatik |
著者: | エーヴァース, ディルク ![]() 岡田, 勇督 ![]() |
著者名の別形: | Evers, Dirk OKADA, Yusuke |
発行日: | 29-Mar-2024 |
出版者: | 京都大学キリスト教学研究室 |
誌名: | キリスト教学研究室紀要 |
巻: | 12 |
開始ページ: | 56 |
終了ページ: | 80 |
抄録: | この総説では、近年のドイツ語圏のアカデミアにおけるプロテスタント教義学の研究成果について論ずる。そこでは三つの主要な動向を特定することができる。(1)宗教という一般概念の枠組みにおいて構築されたキリスト教教義学、(2)新しい解釈学的神学、そして(3)形而上学的神学の再来である。第一の潮流の主な特徴が見られるのは、主観的・超越論的な基礎から、人間学的・文化的な枠組みというより幅の広い宗教概念へと移行しようとしている点である。この立場に対する批判として提起されているのは、神学における規範的な問いと、文化現象としての宗教が主に西洋のカテゴリーであるという両義性である。第二の潮流は人間実存が両義的であるという事実から出発し、ラディカルな実存の変容として神と信仰を考える。神は信仰の出来事において働くものとして考えられ、そこでは現実と自己についての新たな理解が得られるようになるのである。この立場に対しては、そのアプローチは信仰主義であって、合理的・普遍的ではないのではないかという批判がなされている。第三の潮流が追求する立場は、理性という手段によって究極的な問いに答えを与える試みとしての神学である。この立場に対する批判は、悪の問題、自由意志、人生の不確かさのような実存的な問題を適切に扱えないこと、不信仰をある種の無知として捉えるようになってしまうことである。最後に著者は三つの立場を、現実を捉えるためにそれぞれ一人称、二人称、三人称の観点を取るものとして区別し、第二の立場の神学的重要性を擁護する。 |
DOI: | 10.14989/287788 |
URI: | http://hdl.handle.net/2433/287788 |
関連リンク: | https://sites.google.com/site/kyotouchristianstudiesreports/home/%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E6%95%99%E5%AD%A6%E7%A0%94%E7%A9%B6%E5%AE%A4%E7%B4%80%E8%A6%81 |
出現コレクション: | 第12号 |

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