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ファイル | 記述 | サイズ | フォーマット | |
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KJ00000047096.pdf | 570.67 kB | Adobe PDF | 見る/開く |
完全メタデータレコード
DCフィールド | 値 | 言語 |
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dc.contributor.author | 増田, 玲一郎 | ja |
dc.contributor.alternative | Masuda, Reiichiro | en |
dc.contributor.transcription | マスダ, レイイチロウ | ja-Kana |
dc.date.accessioned | 2008-04-08T05:37:43Z | - |
dc.date.available | 2008-04-08T05:37:43Z | - |
dc.date.issued | 1998-12-01 | - |
dc.identifier.uri | http://hdl.handle.net/2433/50712 | - |
dc.description.abstract | 長い間, 指図されなくても自分で判断し行動する, 気の利いたコンピュータが求められている。人間のように思考する人工知能は, まだ夢の世界の存在である。他方, 最近のソフトウェア製品は, その多機能を簡単に利用できるような工夫がなされていて, 気を利かしているつもりらしい。しかし, 私見ながら, この工夫は上手く行っていないように思われる。困難は技術的な問題ではなく, '気を利かす'という働きそれ自体にあると思われる。気を利かせるべき状況で, 人間はどのように振る舞っていて, コンピュータはどのように振る舞うべきか, それらに関する問題をこの論文で考察する。気を利かせる働きの重要な部分は予断に基づく。コンピュータは予断するべきではないであろう。あくまで人間が主体的に判断し, コンピュータは, 人間の判断行為を支援することに専念すべきであろう。 | ja |
dc.language.iso | jpn | - |
dc.publisher | 京都大学大学院文学研究科哲学研究室 | ja |
dc.subject.ndc | 100 | - |
dc.title | コンピュータは気の利いた相棒になれるか? | ja |
dc.type | departmental bulletin paper | - |
dc.type.niitype | Departmental Bulletin Paper | - |
dc.identifier.ncid | AA11362712 | - |
dc.identifier.jtitle | 京都大学文学部哲学研究室紀要 | ja |
dc.identifier.volume | 1 | - |
dc.identifier.spage | 1 | - |
dc.identifier.epage | 12 | - |
dc.textversion | publisher | - |
dc.sortkey | 03 | - |
dc.relation.url | http://www.philosophy.bun.kyoto-u.ac.jp/prospectus/ | - |
dcterms.accessRights | open access | - |
dc.identifier.jtitle-alternative | Prospectus | en |
出現コレクション: | No.1 |
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