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タイトル: 江戸時代における漢文教育法の一考察 : 伊藤仁齋の復文と皆川淇園の射覆文を中心に
その他のタイトル: The Teaching Method of Classical Chinese in Edo period : The Case of Jinsai ITOU and Kien MINAGAWA
著者: 李, 長波  KAKEN_name
著者名の別形: Li, Changbo
発行日: 20-Sep-2002
出版者: 京都大学大学院人間・環境学研究科文化環境言語基礎論講座
誌名: Dynamis : ことばと文化
巻: 6
開始ページ: 54
終了ページ: 82
抄録: 在日本, 最早應用「復文」進行漢文教學的儒學家是江戸時代的伊藤仁齋 (1627-1705) 。其有關「復文」的方法及作用的論述以『譯文法式』爲題収録在伊藤東涯編輯的『作文眞訣』里。繼伊藤仁齋、伊藤東涯 (1670-1736) 父子之後, 皆川淇園 (1734-1807) 也採用了「復文」做爲漢文教學的方法, 著有「復文」的教材『習文録』 (初編 ~ 四編、八冊) 以及解説詞彙用法的『増訂習文録甲乙判』 (上下、二冊) 傳世。本文在介紹了伊藤仁齋的「復文」的方法之後, 着重對皆川淇園的『習文録』 (初編 ~ 四編) 及『増訂習文録甲乙判』 (上下) 的版本進行了考察。指出『補訂版國書總目録』和『古典籍総合目録第一巻--国書總目録續編第一巻--』中有關寛政十年版『習文録』 (初編 ~ 四編) 以及文化八年版『増訂習文録甲乙判』 (上下、二冊) 的記載是不足爲信的。前者以明治九年版刊記的記載爲根據; 後者則以『増訂習文録甲乙判』題言的撰寫年月爲依據。調査結果表明, 迄今爲人所知的『習文録』 (初編 ~ 四編) 及『増訂習文録甲乙判』 (上下) 的所有公私収藏中無一擁有上述兩個刊記的版本。所謂寛政十年版『習文録』 (初編 ~ 四編) 事實上是明治九年版。其實『習文録』 (初編 ~ 四編) 及『増訂習文録甲乙判』 (上下) 并非同時出版, 而是在『習文録』初編 (安永三年序) 出版後陸續刊行的。現段階, 除根據家藏本『習文録』二編有寛政三年的刊記這一點可以推測『習文録』初編和二編的出版最遲應在寛政三年以前這一點外, 『習文録』 (初編 ~ 四編) 和『増訂習文録甲乙判』 (上下) 的具体出版年月尚不明了, 尚有待進一歩研究。本文在考察『習文録』 (初編 ~ 四編) 及『増訂習文録甲乙判』 (上下) 的版本的同時, 還對皆川淇園和伊藤仁齋、荻生徂徠 (1666-1728) 的文章觀進行了比較。指出皆川淇園的文章觀既與伊藤仁齋推崇唐宋韓柳的傳統文章觀不同, 也與荻生徂徠標榜古文辭學的文章觀大相徑庭。皆川淇園的文章觀的關鍵性概念爲「氣」和「文理」, 其文章觀属於以魏文帝爲首創以元 ・ 陳繹曾『文筌』爲集大成的「文以氣爲主」這一派。
URI: http://hdl.handle.net/2433/87686
出現コレクション:Vol.6

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