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dc.contributor.author古川, 彰ja
dc.contributor.alternativeFurukawa, Akiraen
dc.contributor.transcriptionフルカワ, アキラja-Kana
dc.date.accessioned2014-04-16T00:52:46Z-
dc.date.available2014-04-16T00:52:46Z-
dc.date.issued1992-05-17-
dc.identifier.issn0914-8620-
dc.identifier.urihttp://hdl.handle.net/2433/185558-
dc.description目次タイトル「援助調査プロジェク卜と住民の環境問題 : ヒマラヤ高地住民の環境認識ノート」ja
dc.description.abstract環境問題は誰の問題か. これまでの環境問題は問題の加害者と被害者が誰であるのかは比較的はっきりしていた. しかし, ことしばらくの間に環境問題の焦点になりつつある地球環境問題では世界中の誰もが被害者であり, かつ加害者であるという構図が描かれてきた. だが地球上のすべての地域に均質的にその論点を当てはめることは妥当ではない. 地球規模の環境問題は地球規模の濃淡をもって加害者と被害者を分布させていると言うべきだろう. 環境問題があらたな南北問題を引き起こしているともいえるだろう. なぜなら, 環境問題の原因のおおくが意図するかしないかは別として, やはり工業化の過程とその工業化を推進してきた近代化イデオロギーに求められるべきものであるからである. そのような明瞭な工業化, 近代化イデオロギーがもたらした環境問題ではなくとも, すぐれて善意で行なわれてきた援助のプロジェクトでさえ, 意図せざる結果としての生活破壊を引き起こしかねない. 本稿ではこれまで2回にわたって見てきたヒマラヤ高地シェルパ族の材, ナムチェバザールの30年間におこなわれた援助プロジェクトがもたらした生活の変化を記述し, そこに起こっている問題を上に述べたような観点から検討することにしたい.ja
dc.format.mimetypeapplication/pdf-
dc.language.isojpn-
dc.publisher京都大学ヒマラヤ研究会ja
dc.publisher.alternativeThe Association for the Studies of Himalaya, Kyoto Universityen
dc.subject.ndc225.8-
dc.title援助・調査プロジェク卜と住民の環境問題 : ヒマラヤ高地住民の環境認識研究ノートja
dc.title.alternativeA Result of Aid Projects and Environmental Problem in Namche Bazaren
dc.typedepartmental bulletin paper-
dc.type.niitypeDepartmental Bulletin Paper-
dc.identifier.ncidAN10392447-
dc.identifier.jtitleヒマラヤ学誌ja
dc.identifier.volume3-
dc.identifier.spage73-
dc.identifier.epage82-
dc.textversionpublisher-
dc.sortkey13-
dc.address中京大学社会学部ja
dc.identifier.selfDOI10.14989/HSM.3.73-
dcterms.accessRightsopen access-
dc.identifier.pissn0914-8620-
dc.identifier.jtitle-alternativeHimalayan study monographsen
出現コレクション:第3号

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