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タイトル: 上伊那地方における林野利用の史的研究 : その1 手良沢山山論の展開
その他のタイトル: Historical Studies on Forest Utilization in Kamiina District (1) : History of the Tera-Sawayama Forest Dispute
著者: 川村, 誠  KAKEN_name
著者名の別形: Kawamura, Makoto
発行日: 13-Dec-1975
出版者: 京都大学農学部附属演習林
誌名: 京都大学農学部演習林報告
巻: 47
開始ページ: 48
終了ページ: 61
抄録: 官林に編入される以前, 手良沢山は6ヶ村の入会林野であり, 幕藩体制確立期の寛文・延宝年間に, 「山元」の沢山に対する権利を認めた「山元」・「入方」関係が公認される。その関係は, 規約上で利用内容の差として表われるが, 実際の利用の場においては, 実力行動による利用内容の変更 (拡大あるいは制限) が試みられる。しかし, 基本的な「山元」・「入方」の関係を越えることはなく, この体制が崩れるのは, 明治維新の体制変革の中においてであった。
Before the "Enclosure" by the meiji government, Tera-Sawayama was an "iriai" with six villages. In the Kammon- and Empoperiods of the early Edo era, the regime authorized the "Yamamoto-Irikata" relationship in which "Yamamoto" was privileged with the utilization of Sawayama. This relationship meant that the different content of its utilization. It actually brought about through force the expansion or the reduction of the utilization privilage. The "Yamamoto-Irikata" relationship was preserved until the Meiji Revolution.
URI: http://hdl.handle.net/2433/191600
出現コレクション:第47号

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