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ctz_8_76.pdf | 2 MB | Adobe PDF | 見る/開く |
タイトル: | <論文>「馬生」と「人生」のコンタクト・ゾーン - 北海道の競馬産業における人間と競走馬の関係 |
その他のタイトル: | The Contact Zone between "Horse Life" and "Human Life": e Relationship of Humans and Race Horses in the Racing Industry of Hokkaido |
著者: | 金澤, 大 |
著者名の別形: | KANAZAWA, Dai |
キーワード: | コンタクト・ゾーン 商品化/単独化 「馬生」 競馬産業 北海道 contact zone commoditization/singularization "Horse Life" racing industry Hokkaido |
発行日: | 31-Mar-2016 |
出版者: | 京都大学大学院人間・環境学研究科 文化人類学分野 |
誌名: | コンタクト・ゾーン |
巻: | 8 |
号: | 2015 |
開始ページ: | 76 |
終了ページ: | 101 |
抄録: | 本稿の目的は、北海道の競馬産業における競走馬の経済動物としての側面を記述することを通して、人間と動物のコンタクト・ゾーンにおいて、両者の非対称性がいかにして構築されているか考えることである。事例として取り上げる北海道では、競馬産業に関連した事業や売買を中心として、 他に類を見ない規模の馬の取引が行われている。日高地方においてこの傾向は特に顕著であり、競走馬の生産・育成は、競馬産業関係者の人生の成功を左右する重大な関 心事である。競走馬が持つこのような経済的重要性を背景として、競馬産業に関わる人々の間には、当人たちの間だけで特別な意味を持つ、独特な言説が存在する。競走 馬という高価な経済動物の取り扱いや、その身体に内在する価値の読み取り、また競馬に出走することができなくなった「引退馬」という存在への対処は、競走馬の経済的側面のみについて語るような、多くの言説に依拠して行われている。こうした馬産地の実情を論じる上で、馬の一生を意味する「馬生」という言葉は示唆的である。「人生」のアナロジーとして表現される「馬生」は、育成・調教の時期か ら引退後まで、競馬産業の中で馬が通過する様々な局面を含意しており、人間と馬の 関係を包括的に捉えることができる概念である。本稿では、商品の流通過程に関する コピトフの分析を参考にしつつ、「馬生」を通じて変化する人間と競走馬の関係を記述 する。そこから読み取れるのは、「馬生」のある段階を不可視化することによって維持されている競走馬の消費構造であり、競走馬がかけがえのない存在として「単独化」 されることを回避するように語られる、言説の構築的な側面である。This paper describes the discourses concerning race horses in the racing industry of Hokkaido and considers how asymmetrical relationships between humans and animals are constructed. Haraway [2013a] applies Pratt’s [1992], concept of “contact zone” to consider the process of coevolution and cooperative relationships between the two in the case of canine agility training. This paper focuses on the transaction of race horses and extends Haraway’s argument by referring to Kopytoff’s [1986] two concepts of commoditization and singularization. Hokkaido, especially the Hidaka region, has the most prosperous market for horse racing in Japan, and thus the breeding and training of horses are the prime concern for people involved in this industry. While the importance of race horses is stressed in this way, its discourse cannot be reduced to its economics. “Horse Life” is a suggestive term to elucidate such realities of producing race horses. This term, analogous to “Human Life”, implies various stages of the race horse’s life cycle such as breeding, training and retirement. Through examining the case of “Horse Life”, this paper reveals that people cannot regard race horses as merely commoditized beings, but also as singularized ones. The structure of the racing industry that disposes of race horses is maintained by various discourses cutting “Horse Life” into fragments. |
URI: | http://hdl.handle.net/2433/217888 |
出現コレクション: | 008 |
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